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スピリチュアル・リーダーシップ

光に委ねて生きる在り方

スピリチュアルという言葉は、いまだに何か「よくわからないもの」とか胡散臭い感覚でとらえられることが多いけれど、科学とか理論、思考といったものが、直観的なものを検証するなかで確立されてきたものだとするならば、それに先だつ直感的なものや、「なんだかわからないけど、そんな気がする」というもの、いわゆるスピリチュアルな感覚としてとらえているものを胡散臭いと一蹴するのは、合理的ではない。

つまりマインドとか思考といったもの、そして理論や理屈は、過去の経験に基づくフィルターでしかないのだ。

今リアルにここで起きつつある・・体感覚、感情を含め、「知覚されているもの」をもとに、それが何か、を、これまでのスケールにあてこんで、判断し意味づけしてゆくツールのようなものと言っていいのかもしれない。

だからこそ、マインドや思考のフィルターを超えて、知覚するセンサーを出来る限り精緻に研ぎ澄まし、感知できるレンジをいかに広げ、また理論や理屈を超えた広範囲かつ高次な感覚(これこそが本当の意味でのスピリチュアルな感覚なのだと思う)を感じ取っていけるか。

そしてそれら知覚したものを有効に意識化し概念化するために、いかに柔軟に統合し、インテリジェンスある意味づけ力を持てるか。

またさらに、そうしたことと、実際の発言や行動レベルとどこまで一致させていけるか、が、その人の人間力を高め器を広げてゆくカギになってくるようだ。

知覚するセンサーを研ぎ澄ます方法としては、今、瞑想とかマインドフルネス、コンシャスダンスやヨガなど身体性を磨くことや感情をコントロールすることなど、様々な分野の取り組みがあるけれど、どこかでその重要性を感じ取った人たちが、そうしたアプロ―チを取り入れようとしているように見える・・ただの一過性のブームを超えて。

身体レベル、感情・感覚レベル、そしてマインド(どんな思考や意味づけをしているのか?)。

それらパーソナルな領域の感覚を研ぎ澄ました末に・・そこすら超えた広いスペースにぐっと意識が広がった時にはじめて、そこから差し込んでくる直感的なもの、光、インスピレーション、人智を超えた知恵、あるいは理屈はついてこないけれど何か確信に近いものに、恐らく偶発的でなく出会うことができる。

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これに触れ、感じ取れるかどうか。

また、感じ取りながら、なおかつそれに自分の行動や言動を一致させ、この世的に体現できるかどうか。

さらには、そこに人を巻き込んで何かを興していくことすらあるかもしれない。

私はこういう在り方ができることを、「スピリチュアル・リーダーシップ」と呼んでみたい。

ひらたくいえば、頭脳や心、エゴ的なものを超えたところからやってくる「光」をキャッチできて、それに委ねて素直に行動できる力があるかどうか。

もう少し俗っぽく言えば、魂に繋がって生きられるかどうか(ここまでいうと、また胡散臭く響いてしまう人もいるでしょうけれど)。

多くの場合は、この「光」はどこかにありながらも、マインドや感情に様々な「曇り」があって、真っすぐにそれが届いていないようだ。

人生で、何か息苦しい、何か滞っている感覚があると感じられるなら、おそらくどこかにそういった曇りがあるのだろうと思う。

コーチングやセラピーは、こうした曇りを一つ一つ拭い去って光に到達し、人がスピリチュアル・リーダーシップを発揮できていく道のりを支援するものであるように感じていますし、そんなリーダーシップから生きられる人が各界に増えることが、世界を一段良い場所にする、この世を次のフェーズへシフトさせていくための、唯一の鍵である気がしています。

ただ、この光に従ってゆくのが・・社会になじんで生きてきた人にとっては、めっぽう怖いことだったりするのですけどね・・

このあたりのことを、胡散臭くなく、ひらたく・・現実に活用していけるようにもっと言語化していけたらいいなと思っています。

・・ああ、なんか固いな。。笑

Written by Kayoko Tamari, 2.15.2019

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